早朝本堂の勤行に続いて外の御堂を開き、お勤めに出かける。
つい先日まで寒さで下を向いて歩いていたが、暖かくなると自然に頭が上に向くようになる。
ふと見上げると、庭の樹木の枝の又に咲く『セッコク』の花が眼に入った。
あーもうこんな時期になったんだ・・・・・。
孔子の言葉に『蘭生幽谷,不以無人而不芳』とありますが、軸は永平寺60世を務めた
臥雲童龍禅師(1796~1871]の揮毫されたものです。
軸の揮毫では「而」の字が省略されています。
「蘭は幽谷に生じ、人無きを以て芳らずということなし」と読んでみました。
自然の花は総て時期が至れば咲きます。誰が見るとか見ないとかは関係ありません。
ややもすると私の為に咲いてくれたなどと思いがちですが、自分勝手な思考を諫めているようです。
明日は興津川の鮎の解禁日。新幹線の窓から眺め、小田原の御寺の施食会(お施餓鬼)法要に参加します。
除夜の鐘を撞いたと思ったら、もう施食会の季節になってしまいました。
つい先日まで寒さで下を向いて歩いていたが、暖かくなると自然に頭が上に向くようになる。
ふと見上げると、庭の樹木の枝の又に咲く『セッコク』の花が眼に入った。
あーもうこんな時期になったんだ・・・・・。
孔子の言葉に『蘭生幽谷,不以無人而不芳』とありますが、軸は永平寺60世を務めた
臥雲童龍禅師(1796~1871]の揮毫されたものです。
軸の揮毫では「而」の字が省略されています。
「蘭は幽谷に生じ、人無きを以て芳らずということなし」と読んでみました。
自然の花は総て時期が至れば咲きます。誰が見るとか見ないとかは関係ありません。
ややもすると私の為に咲いてくれたなどと思いがちですが、自分勝手な思考を諫めているようです。
明日は興津川の鮎の解禁日。新幹線の窓から眺め、小田原の御寺の施食会(お施餓鬼)法要に参加します。
除夜の鐘を撞いたと思ったら、もう施食会の季節になってしまいました。