お知らせ
春よこい 3月の戌・大安の日は
まもなく3月というのに寒い日が続いています。
静岡市の当地はおかげで雪は降ることはありませんが、都心でも雪の予報とか・・・。
まさに
『窓前春浅竹声寒』[窓前(そうぜん)の春 浅くして竹声 寒(すさまじ)し』
未だ春は先でしょうか?
写真は永平寺七十七世 丹羽廉芳禅師の永平寺東京別院監院の時に揮毫された書です。
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3月の戌の日は
2日(金) 14日(水) 26日(月)です。
2日・14日は大安と重なる戌の日です。
そのほかの大安は
8日(木)20日(火 春分の日)24日(土)30日(金)です。
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やっと梅が開きはじめました。
『梅は寒苦を経て清香を発す』とあります。冬の厳しい寒さが綺麗な花を咲かせると云いますが、先日,雪庵廣録[永平寺七十三世 熊沢禅師の著書]を拝読していましたら、夏の厳しい暑さも必要と示されていました。
『梅は酷暑を経て清香を発す』ですね。
2月15日は涅槃会
世間ではチョコレートの贈物で賑やかな時期ですが、お寺では十五日のお釈迦様の涅槃会(御命日)迄、『佛遺教経』を読経するお務めが一日から始まりました。
インドの北部クシナガラという村で、沙羅の林に横たわり、弟子達の見守るなか、お釈迦様は旧暦二月十五日最後の教えを説き御亡くなりになったと伝えられています。
その時、頭を北側にし顔を西に向け右脇を下にした寝姿であったことから、死者を北枕にする習慣がうまれたと聞いています。
『佛垂般涅槃略説教誡経』(略して佛遺教経)はこの時の説法をまとめたものですが、教典を開くと、人は如何に生きるべきか、仏教徒として守るべき事は何か??等々、今の生活を考え直させれる事柄が多く示されています。
お釈迦様は、「世間の全ての物は絶えず変化している、一つとして同じ姿でいる物は存在しない。だから私が死んだからといっても嘆いてはいけないよ。私亡き後は自分自身を灯明とし、私の教えた真理(法)を灯明して修行していきなさい・・・」と教えています。
お釈迦様のご遺言を『自灯明・法灯明』(自らを灯明とせよ、法を灯明とせよ)といいますが、自分を灯明にするとはどういう事でしょうか?
我々はいつも他人や物を比べて考え生活しています。さっきの物の方が良かった、あっちの方が価値がありそうだ、何であいつが俺より先に昇進するんだ、何で俺はあいつに比べて運が悪いんだ等々
考えても仕方ないことを何時までも考えている人を愚かな人という。逆に自分の力の限界をわきええ、あきらめを付け、比べようともしない人を知恵の人という。自分と他を比べてできる差をとる事を差とり(悟り)といいます。
お釈迦様は決して他人を羨んだりせず、自分を大切に、頂いた命を大切にと教えられたのでしょう
部屋で暖をとる機会の多い厳寒の二月、熱いお茶を頂きながら、静かに自分自身をみつめなおしてみませんか
写真は当山伝来の涅槃図です。各所に本紙の筋切れ・胡粉の剥離他さまざまな傷みがきており、本堂再建200年までには修復したいと発願しています。
2月の戌の日 大安の日
今月の戌の日は 7日(火曜日)と19日(日曜日)です。
大安は 2(木)8(水)14(火) 20(月) 25(土) です。
2月に入って朝の室温は零度! 寒いですねーー。
御参詣の皆様には『本堂は夏用に出来ていますので・・・・寒くて御不便を御掛けいたします』と謝っています。
200年を経た建物で、床下が1mあり、また正面の大戸を開いて御参り頂きますの本堂全体を暖房するのは到底無理で本当に御不自由を御掛けしています。
せめて御祈祷・御札の説明のときは暖かくと思いホットカーペットを用意させて頂いております。
参詣の皆様からは『お寺は寒い処だから』と気づかいの御言葉を頂戴いたしますが、
御来山の節にはどうぞ暖かい服装でおいでください。
お守りについて
昨年、静岡市で冠婚葬祭業を経営する『アイネット』より発行している季刊誌編集の方より「お守り」についての取材があり、その内容が[あいネットプレス]Vol.67 2012新春号 に掲載されました。
送って頂いた冊子の掲載の一部分ですが御高覧下さい。
冊子には静岡市の寺社仏閣のさまざまな御縁を頂ける「お守り」が掲載されています。
新年の風景
明けてましておめでとうございます。
平成24年の年頭にあたり、皆様方の御多幸を御祈念申し上げます。
写真は新年の本堂内外の荘厳風景です。
五色の幕・寺紋の幕で飾られた本堂。内陣の天女が舞う金襴の水引・柱巻きの奥に観音様が祭られています。
そしてその廻りには16人の羅漢様の掛軸・奥の床には郷土の南画家・高橋雲亭画伯が当山で描いた子供と遊ぶ布袋様の掛軸が飾られます。
十六羅漢図は県内のとても由緒ある寺院にあった品で、明治六年にその寺から功績のあった末寺に贈られた奥書が記されています。昭和50年代に古道具店で出会い支払いに苦労して手に入れ、その後、傷んでいた表装を5年かけて直したもので、寺宝として永く保存もらいたいと願っている品です。
又、高橋雲亭画伯の布袋図は戦前当山で画伯の画会が開かれたおり、当時の住職の希望で安産・子育てにちなんで子供を何人もあやしている布袋さんが描かれたと聞いています。
描かれてから常に掛けられていた為か傷みが酷くなり、再表具して現在は正月のみ飾っている一品です。